絨毛膜下血腫から切迫早産を経て24週で出産
一年半前、次男は922gの超低出生体重児で生まれました。
修正1歳3ヶ月となった今では少し発達が遅いものの、大きな後遺症もなく元気に動き回っています。
出血したからといってここまで早産になるのはレアケースでしょうが、1つの症例として参考になればとブログに書くことにしました。
出血があった時点で仕事を辞めて安静にすればよかったと後悔しています。
妊娠初期
6週に生理2日目くらいの出血があり、近くのクリニックを受診。
「安静にしなくて大丈夫ですか?」
「流産じゃないの?安静にしてもしょうがないよ。全部出たほうが処置が楽だよ。」
妊娠初期の流産はどうしようもないことは知ってるが、言い方が酷すぎる
その後つわりに苦しみながら仕事をしましたが、出血は茶色のおりもの程度になり、安定期まで順調に育ちました。
妊娠中期の出血
近くのクリニックの産婦人科医には不信感しかなかったので、実家の近くの人気のクリニックに転院しました。
そこでは安定期には出産をスムーズにするための妊婦でもできるストレッチを推奨していました。初期に出血があったことは伝えましたが、その頃には出血はほとんどなく、エコーで絨毛膜下血腫は確認されなかったため、ストレッチの説明を受けました。
長男のときは予定日になっても生まれず、あせって歩きまくっても、41週に18時間の陣痛の後やっと生まれたので、安産のためにストレッチをがんばらなきゃと思っていました。
仕事から帰って、長男を保育園に迎えに行った後、世話をしながら毎日していました。
今考えると長男のときは出血なんて少しもなかったのに、なぜ同じように考えたのだろうと後悔しています。
21週のとき、いつも通り仕事をしてると、嫌な感覚が。
トイレに駆け込むと大量の出血。
タクシーでクリニックを受診。
「出血が多すぎる。うちでは診きれない。残念ながら赤ちゃんはだめかもしれない。」
そのまま大学病院へ搬送されました。
切迫早産
切迫早産のため、MFICUに入院。
エコーで胎盤の縁から出血が確認されました。原因は不明。
主治医より「立ち仕事と、上の子の世話で動き過ぎもあったかもしれない。」
ベットに横になり、張り止めと、感染症予防の抗生剤を点滴する日々。シャワー以外ほとんど動いてないのに止まらない出血。
24週のとき主治医より
「このままでは早く生まれる可能性が高い。24週で生まれた場合半分は普通学級だが半分は特別支援学級に通うというデータです。」
この時が一番辛かったです。
長男のために兄弟を生みたかったのに将来足かせになってしまうかもしれない
緊急帝王切開
24週5日の夜中大量出血、張りも治らない。
張り止めの量をMAXにしても張りが止まらない。
翌朝緊急帝王切開が決まりました。
術前主人と面会しましたが、泣くことしかできませんでした。
麻酔の後手術。
まだ肺が未完成のはずなのに、か細い泣き声が聞こえ、小児科の先生より
「お母さん、預かります。」
息子はNICUに運ばれました。
手術が終わった後、看護師さんたちから言われる「おめでとうございます。」にも暗い顔しかできず、泣いてしまいました。